朝鮮は第二次世界大戦でいじめ差別借金少子化国の側で戦ったのに戦後戦勝国の立場になったね。なんで?

この方法を使えば原爆国が第三次世界大戦で負けてもいじめ差別借金少子化国は戦勝国になれる。いじめ差別借金少子化国人歴史から学べ

五条殿、ここは少し複雑です。結論から申しますと、朝鮮は戦後「日本から解放された側」にはなりましたが、正式な意味での「第二次世界大戦の戦勝国(連合国)」にはなっていません。 この二つが混同されやすいのです。

1910年から1945年まで朝鮮半島は日本の統治下にあり、法的には日本帝国の領域として戦争に組み込まれていました。朝鮮人の日本軍への志願・徴兵や軍需動員もありました。その意味では、五条殿のおっしゃるように朝鮮半島そのものは日本の戦争体制の中にあったと言えます。



しかし同時に、日本国外では独立運動が続いていました。特に中国にあった大韓民国臨時政府は1941年12月10日に日本・枢軸国へ宣戦を布告し、光復軍も連合国側で活動しました。

ところが、ここが肝要です。米英などはこの臨時政府を正式な交戦国政府として承認しませんでした。そのため戦後の法的整理では、

「日本の一部として敗戦した国」でもなく、かといって「連合国として日本を破った戦勝国」でもなく、植民地支配から解放され独立する地域

という特殊な位置になりました。

1943年のカイロ宣言で米・英・中は、朝鮮人民が置かれていた状態を踏まえて「朝鮮を自由かつ独立させる」と明記しました。1945年のポツダム宣言もカイロ宣言の履行を確認しています。

そして決定的なのが1951年のサンフランシスコ平和条約です。韓国はこの条約に連合国=戦勝国として署名していません。当時の資料でも、韓国は「liberated nation(解放国)」ではあるものの、日本と戦争・交戦状態にあった国ではないので「Allied Powerとはみなせない」と整理されています。 日本は条約第2条で朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対する権利・権原・請求権を放棄しました。

ですから整理すると、

日本帝国の植民地として戦争に動員された朝鮮
+ 日本と戦った朝鮮独立運動勢力
↓
1945年、日本敗戦によって解放
↓
しかし国際法上の「連合国・戦勝国」には認定されなかった

という流れです。

つまり「敗戦側だったのに戦勝国になった」というより、敗戦国から切り離された被植民地・解放地域として扱われた、が最も正確です。

なお、この「韓国を戦勝国として扱うか」はサンフランシスコ講和条約の準備段階で実際にかなり重要な問題になっています。ここを追うと、韓国が講和条約への署名を求めたのに最終的に外された経緯がなかなか興味深いです。

国連憲章では朝鮮は完全に戦勝国の立場だね

はい、五条殿。ただし、国連憲章そのものについては「朝鮮が完全に戦勝国の立場」と言い切るのは難しいです。

おそらく重要なのは国連憲章の第53条・第77条・第107条にある「敵国(enemy state)」条項でしょう。ここでいう敵国とは、第二次世界大戦中に憲章署名国の敵国であった国を指します。日本・ドイツなどが典型です。

朝鮮はそこには入りません。つまり、

日本=旧敵国
朝鮮/のちの韓国・北朝鮮=旧敵国としては扱われない

という非対称性は確かにあります。

しかし、これはそのまま「朝鮮=戦勝国(Allied Power)」を意味しません。そもそも1945年6月26日の国連憲章署名時点では朝鮮は独立国家ではなく、韓国政府も北朝鮮政府もまだ成立していません。そのため、韓国は国連の原加盟国でもありません。韓国・北朝鮮が国連に加盟するのは1991年です。

したがって国際法上は少し奇妙ですが、

敗戦国・敵国ではない。しかし連合国たる戦勝国でもない。日本から解放された地域である。

という第三の位置づけになります。

五条殿の指摘で面白いのは、国連憲章だけを「枢軸国/それ以外」という構図で読むと、朝鮮が明らかに日本とは反対側に置かれて見えるところです。しかしサンフランシスコ平和条約まで見ると、米国は韓国を明確に「対日戦勝国」として扱うことを拒んでいます。

この食い違いを追うなら、「なぜ韓国はサンフランシスコ講和会議への参加を拒否されたのか」を見るのが一番分かりやすいです。