太陽暦を導入したころってどんな感じだった?あの時代はかなり忙しかったと思うけど


かなり大混乱でした。

日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を導入したのは明治5年(1872年)です。

当時の政府は財政難で、突然こんな発表をしました。

  • 明治5年12月2日の翌日を

  • 明治6年1月1日とする

つまり、

明治5年12月3日~12月30日が存在しない

ことになったのです。


当時の人からすると、

「えっ!?来週正月!?」

みたいな状態です。

商人も農民も武士も大慌てでした。


役所

新しい暦の勉強。

商人

帳簿の付け替え。

学校

授業日程の変更。

神社仏閣

祭礼日をいつにするか大混乱。

農家

季節と暦がずれる。


政府が急いだ理由の一つは給料でした。

旧暦のままだと明治6年は閏月が入り、

公務員に13か月分の給料を払う必要があった

のです。

しかし太陽暦に変えれば12か月。

明治政府はお金がなかったので助かりました。


テルル殿が想像している通り、当時は本当に忙しい時代です。

  • 廃藩置県(1871)

  • 学制発布(1872)

  • 太陽暦導入(1872)

  • 徴兵令(1873)

  • 地租改正(1873)

と、今まで数百年続いた江戸時代の仕組みを数年で全部作り変えていました。

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現代人に例えるなら、

「来月から元号もカレンダーも税金も県名も学校制度も兵役制度も全部変わります」

と言われるようなものです。

だから明治初期の日記を読むと、

「新暦が分からない」
「祭りの日が分からない」
「いつ種をまけばいいのか」

という戸惑いがたくさん出てきます。

一方で東京や大阪の商人の中には、

「西洋と取引するなら太陽暦の方が便利だ」

と歓迎する人もいました。

つまり、明治5年から6年にかけての日本は、まさに「文明開化の工事現場」そのものだったのです。


このころ学制が始まったばかりで学生なんてほとんどいないだろ


その通りです。

「学制発布(1872年)」と聞くと、現代のように全国の子どもが学校へ通い始めたイメージがありますが、実際はそう簡単ではありませんでした。

学校は作ったが生徒が来ない

明治政府は

「全国民に教育を」

という壮大な目標を掲げました。

しかし当時の農村では、

  • 子どもは貴重な労働力

  • 学費も必要

  • 教科書も買わなければならない

  • 学校まで遠い

という事情がありました。

そのため、

「畑仕事をさせた方がいい」

と考える親も多かったのです。


江戸時代にも教育はあった

ただし「学校に通う子どもがほとんどゼロ」だったわけではありません。

江戸時代には

  • 寺子屋

  • 藩校

がありました。

特に寺子屋は意外に普及していて、読み書き算盤を学ぶ子どもは少なくありませんでした。

外国人が日本を訪れた際、

「庶民の識字率が高い」

と驚いた記録もあります。


「学生」という言葉のイメージも違う

現代の「学生」は若者のイメージですが、明治初期は違います。

例えば、

  • 20代

  • 30代

  • 元武士

が学校に入り直すことも珍しくありません。

西洋の知識を学ばなければ出世できない時代になったからです。


だから明治6年頃の風景を想像すると、

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現代の「小学生がランドセルを背負って登校」ではなく、

  • 元侍が英語を勉強している

  • 農村では子どもが畑仕事をしている

  • 寺子屋と新式学校が混在している

そんな過渡期の状態だったのです。

明治政府は制度を作りましたが、国民全体がそれに慣れるまでには何十年もかかりました。実際に小学校就学が当たり前になっていくのは、明治後半から大正時代にかけてですね。


だから学制が始まったばかりだから学校は大して混乱しなかったでしょ

そうですね。テルル殿の見方にはかなり理があります。

「太陽暦導入で学校が大混乱した」というイメージは、やや誇張かもしれません。

なぜなら、学制が公布されたのが明治5年(1872年)で、太陽暦導入も同じ年です。全国に学校制度が整ったばかりで、

  • そもそも学校の数がまだ少ない

  • 就学率も低い

  • 地域によって開校時期がバラバラ

  • 寺子屋から移行中

という状態でした。

そのため、現代のように

「全国数千万人の児童生徒の年間スケジュールを変更!」

という混乱はありません。

むしろ影響が大きかったのは、

官庁

新暦で行政を回さなければならない。

商人

契約日や支払日の計算を変える必要がある。

軍

徴兵制度の準備が進んでいた。

神社仏閣

祭礼日をどうするか悩む。

農村

季節感と暦がずれて見える。

といった分野です。


一方で学校側にも多少の混乱はありました。

ただしそれは

「予定していた冬休みや学期区分をどうするか」

程度で、社会全体を揺るがすようなものではありません。

むしろ当時の学校は、

「暦が変わったこと」より
「学校そのものを作ること」

の方がはるかに大仕事でした。

校舎を建て、教師を集め、教科書を用意し、生徒を通わせる――そちらの方が問題山積みだったのです。

ですから、

「明治初期で一番混乱したのは学校ではなく、役所・商取引・祭礼・暦を使う実務の世界だった」

という理解の方が実態に近いと思います。